12月のテーマは佐野の歴史。指定文化財や史跡を巡りながら“歴史の声を聞いてみよう!
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※このスポットマップと一覧表は、データベース化した佐野市オープンデータを使用して作成しています。
サノコレスポット
(69件)
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大橋町2047
【博物館・資料館】
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〒327-0846 栃木県佐野市若松町502
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佐野市葛生東1-11-15(葛生化石館)
【指定文化財等】#佐野市指定文化財
佐野市と栃木市の北部に馬蹄形に連なる石灰岩からなる山があり、そのなかには新生第4紀の葛生動物群と呼ばれる動物の化石が多く含まれている。昭和43年に全身80%というほぼ完全な状態で発見されたサイの化石で、学術的にも貴重な標本である。
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佐野市浅沼町294
【指定文化財等】#指定文化財等一覧
治承4年(1180)あるいは寿永元年(1182)に阿曽沼廣綱が築城したとされ、慶長9年(1614)に廃城となった。本城は平城で、かつては東西約180m、南北230mの規模であったとされる。現在は浅沼八幡宮東側に、土塁と堀の一部が残る。
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佐野市寺中町2337
【指定文化財等】#指定文化財等一覧
コウヨウザンは中国南部・台湾・インドシナが原産地で、江戸時代に渡来したといわれている。樹皮はスギに似ているが、葉は扁平鎌形である。樹高約19m、目通り周囲3.1m、推定樹齢は200~300年と同種の樹木では巨木である。「とちぎ名木百選」にも選定されている。
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佐野市飛駒町2900
【指定文化財等】#指定文化財等一覧
樹高約18m、目通り周囲3.4m、推定樹齢約400年のクロマツで、天正12年(1584)に当寺が曹洞宗に改宗したころに植えられたとされる。
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佐野市嘉多山町1790
【指定文化財等】#佐野市指定文化財
この叢林は、樹齢100年余と推定される。この木は成長が遅く、樹齢のわりに太くならないのが特徴である。わが国には自生せず、中国北部原産の植物で、主に寺院などに植えられて珍重されていたが、これほど数多く和白檀が叢林をなしているのは、珍しく貴重である。
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佐野市秋山町
【指定文化財等】#指定文化財等一覧
樹高約10m、太さ1.75m、推定樹齢約350年と、成長が遅いとされるツバキとしては、大変に大きいものである。4月中旬の開花時には樹冠が紅一色に染まり見事な景観を呈する。
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佐野市下彦間町須花
【指定文化財等】#指定文化財等一覧
須花坂は古くから足利方面に繋がる重要な交通路であったが、急坂ゆえ通行・運搬は困難を極めた。そこで上彦間村の戸長・田島茂平は、彦間、足利等在住の協力者から資金援助を得て、明治14年(1881)に工事を着手した。げんのうやたがねを使った手掘りの作業のため難航し、資金はたちまち尽きたが、茂平は私財を投げ打つなど尽力し、明治22年(1889)に完成した。「土木学会選奨土木遺産」にも認定されている。
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11城山公園
佐野市若松町504
【指定文化財等】#佐野市指定文化財
JR佐野駅北側に位置し、現在、佐野城跡が城山公園となっており、桜・つつじ・もみじ・松等におおわれ、四季を通じて市民の憩いの場となっている。
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12寺岡糸店文庫蔵
佐野市天明町2702
【指定文化財等】#国登録文化財
明治7年に建てられた建物を主屋建設に併せ現在地に移転させ、堅牢な造りで、当時の繁栄ぶりを窺い知る事が出来る建物である。
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佐野市金井上町2233(惣宗寺)
徳川家康の霊柩が日光山への改葬の途中1泊した縁により、惣宗寺の願いによって造営されたもので、日光東照宮の陽明門や唐門の技法を多分に取り入れた、江戸時代後期の精微な技巧が駆使された装飾彫刻建築である。
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14寺岡糸店店舗
佐野市天明町2702
【指定文化財等】#国登録文化財
寺岡糸店は、明治18年に創業し、佐野の織物業発展に貢献した長い歴史のある糸問屋である。昭和52年に事務所としての用途を終了し、現在は貸店舗として活用される。昭和8年に建てられた規模の大きい建物で地方建築における先進性を示した造りとなっている。
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佐野市金屋仲町2431
【指定文化財等】#国登録文化財
昭和9年に建設された洋風な木造2階の建物は、1階が園舎、2階が礼拝堂として平成4年まで教会附属の幼稚園として使用されていた。旧来の姿を大きく変えることなく現存する、昭和初期の地方における木造教会を知るうえで、貴重な建物である。
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佐野市田沼町1404
【指定文化財等】#国認定重要美術品
一瓶塚稲荷神社の銅製鳥居は江戸時代中期に鋳造された天明鋳物全盛期の代表的な作品である。左右の柱には、仲町(現佐野市田沼町)の領主と唐沢山城主の子孫の旗本2名、能満寺の住職の名があり、この他に寄進者と寄進高が刻まれている。
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17唐沢山城跡
〒327-0801 栃木県佐野市富士町1409
【指定文化財等】#国指定重要文化財
栃木県南部の唐沢山一帯に広がり、標高242mの山頂から山麓にかけて城郭遺構が良好に残され、194haを超える広大な面積を有した関東屈指の山城である。本丸の周囲には高さ8mを超える高石垣をはじめとした石垣を有し、関東では珍しい豊臣方の技術が導入されたものと考えられている。
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佐野市葛生東1-14-30(吉澤記念美術館)
【指定文化財等】#国指定重要文化財
江戸時代中期の京都で活躍した画家、伊藤若冲の作品であり、約11メートルにおよぶ長い巻物には、野菜や果物、昆虫や両生類、爬虫類など約160種類が色あざやかに描かれており、巻子形式での絹本著色はこの作品が現在唯一である。
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19嘉多山七輪窯跡
佐野市嘉多山町1790
【指定文化財等】#佐野市指定文化財
明治時代から大正5年(1916)頃まで、石灰石を焼き石灰を製造した七輪窯の跡。外壁に石灰石の石垣を積み、岩盤を利用した七輪窯は珍しいものである。
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21人丸神社湧泉池
佐野市小中町1062
【指定文化財等】#佐野市指定文化財
人丸神社神苑の北側にあり、地下水が湧出し、池となって下方数百ヘクタールの水田を潤す才川の水源となり、地質学上からも間隙性の地下湧泉として貴重である。
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佐野市並木町167
【指定文化財等】#県指定文化財
現存する社殿は江戸時代中期に再建されたものである。社殿の特徴は各部を埋め尽くした彫刻で、立体的な透かし彫りや丸彫りに全て彩色が施されている。この彫刻は、名工として知られている磯辺儀左衛門秀重の作で、その代表作というべき出来映えを誇りうる極めて貴重なものである。
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23石筍
佐野市あくと町3084(あくとプラザ)
【指定文化財等】#佐野市指定文化財
石灰洞内の天井に垂れ下っている鍾乳石から滴り落ちる石灰水が、空気中の炭酸ガスと化合して炭酸石灰となり、床面に沈積して生じたもので、この石筍が1センチメートル積るのに約500年かかるとされる。石筍は鍾乳洞の中に大小多数あるが、この石筍は、石灰岩採掘のため、その鍾乳洞を破壊した際、原形のまま採掘したもので、これまでに発見された県内にある石筍では最大級のものであり、貴重である。
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〒327-0317 栃木県佐野市田沼町1404
【指定文化財等】#県指定文化財
現存する本殿は、安永7年(1778)に再建されたもので、創建当初の状態を留めていると考えられる。一間社として規模が大きく、特に屋根架構は雄大であり、彫刻の質が高く、建築の装飾彫刻化が最高潮に達した時期の社寺建築の水準を示す貴重な遺構である。
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26吉澤人形頭
佐野市葛生東1-11-26(葛生伝承館)
【指定文化財等】#県指定文化財
吉澤人形頭はカシラとともに手足、浄瑠璃本、衣裳、小道具類が当市の吉澤家から平成10年に寄贈され、このうち93体のカシラが平成11年に県の有形民俗文化財の指定を受けた。これらの人形が実際にどのように使われたかについては諸説があるが、地方における人形芝居の資料でこれほどの質と量がそろっている例は全国的にも珍しく、貴重なものである。
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27岩嶽神社のスギ
佐野市作原町261
【指定文化財等】#指定文化財等一覧
樹高約30m、目通り周囲6.1m、推定樹齢約600年の神社の御神木とされている巨木である。太い根は四方に張り、樹勢は盛んで、濃緑の葉をいっぱいにつけている。
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28田中正造旧宅
佐野市小中町975-2
【指定文化財等】#県指定文化財
明治期の、足尾銅山鉱毒事件に際して、被害住民のために国会および言論界に、その救済を訴え続け、波瀾に富んだ一生を送った田中正造(1841~1913)の生家で、現在は、一般財団法人小中農教倶楽部が維持管理を担っており、一般公開もなされ、田中正造の意思を伝える施設として保存活用されている。
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佐野市山越町345
【指定文化財等】#指定文化財等一覧
樹高約13m、目通り周囲1.7m、推定樹齢約600年のコノテガシワで、開山した永享9年(1437)の頃に植えられたのとの伝承がある貴重な古木である。
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30出流原弁天池
佐野市出流原町1117外
【指定文化財等】#県指定文化財
佐野市街地から北西約9キロメートルの位置にある。この池は、古生層石灰岩の割れ目から清水が湧き出して、周囲138メートル、面積約2300平方メートルの丸い池となっている。周辺には石灰岩の洞窟が多くあり、地下にも洞窟の存在を思わせる地形・地質となっており、国の名水百選にも指定されている。
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31藤原秀郷墳墓
〒327-0314 栃木県佐野市新吉水町256−2
【指定文化財等】#佐野市指定文化財
市指定史跡 秀郷公は、正暦2年(991年)に没し、東明寺に葬られたといわれていますが、廃寺となり宝永2年(1705年)地元有志により田原八幡が建てられました。
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32星宮神社銅造鳥居
佐野市大蔵町2928
【指定文化財等】#佐野市指定文化財
天明鋳物師たちが造り、天明町の氏子が奉納した明神鳥居である。銘の一部に享保二十卯年三月吉日とあり、享保20年(1735)に鋳造された事が判明している。
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33清水城跡
佐野市吉水町739
【指定文化財等】#指定文化財等一覧
安貞2年(1228)に佐野国綱が岩崎義基のために築いたとされ、慶長19年(1614)に廃城となり、寛永12年(1635)、興聖寺が田之入から現在の地に移された。本城は平城で、現在、東西116m、南北133mの方形状の本丸跡と周囲に土塁と堀跡が巡る。
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佐野市小中町963-1他
【指定文化財等】#指定文化財等一覧
田中正造の分骨地の一つで、田中正造旧宅の南側にある。この墓所は勝子夫人とともに供養されている。墓石には正造と同じ小中出身の歴史画家小堀鞆音により正造の蓑笠姿が描かれている。
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36安楽寺仁王門
佐野市並木町1185
【指定文化財等】#佐野市指定文化財
安楽寺の創立は寺伝によると、延暦年間とされ、門と仁王像の墨書より宝永年間の再建とみられる。三間一戸の楼門で正面中央に扉がつき、両脇間には金剛柵出囲み、仁王像が安置される。
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佐野市山形町1178
【指定文化財等】#指定文化財等一覧
天徳寺宝衍は、唐沢山城主佐野昌綱の弟や、次男ともされている。豊臣秀吉に仕え、小田原城の北条氏との戦いには先鋒として軍功を立てた。その後、秀吉より佐野領を安堵され、佐野房綱と名を改め城主となった。慶長6年(1601)に没し、遺言により報恩寺に葬られた。墓所の墓碑はそれぞれ、遺徳を偲び、旧臣の子孫が建てたものとされる。
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佐野市飛駒町2900
【指定文化財等】#佐野市指定文化財
永台寺の創立は天平年間とされ、仁王門は、安土桃山時代に建立されたと伝えられている。三間一戸八脚門で両脇間を金剛柵で囲い、同時期に造られたとされる仁王像が安置されている。門の天井には雲竜の墨絵、東西の欄間には彩色の松と梅が描かれている。
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39人丸神社神苑
佐野市小中町1062
【指定文化財等】#佐野市指定文化財
湧水をもとに、神社の神苑が形成されており、夏は睡蓮やコウホネの花が見られ四季折々の情趣が見られる文学的景勝地である。
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40東光寺中門
佐野市寺中町2337
【指定文化財等】#佐野市指定文化財
文政9年に植野の地に封ぜられた堀田氏の陣屋表門を、廃藩置県に伴い、堀田家の菩提寺である東光寺に移築したもでのある。装飾も少なく、表門としては簡素な造りであるが、軸組は太く、またバランスのよく取れた江戸時代後期の特色をよく表している。
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佐野市犬伏下町1962
【指定文化財等】#指定文化財等一覧
光徳寺縁起によると、藤原秀郷の家臣柏崎光徳が秀郷の娘の冨士姫を弔い建立したのが光徳寺であり、光徳寺の開基柏崎光徳のお手植の名木とされる。
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42熊野神社本殿
佐野市石塚町1721
【指定文化財等】#佐野市指定文化財
創立は詳らかではないが、本殿は天保13年(1842)に再建されたものであり、建物の腰組は龍の丸彫り彫刻が隙間無く組み込まれ、八岐大蛇退治や中国の故事を題材にした胴羽目板や扉部分に施された彫刻は特に見応えがある。大工棟梁は惣宗寺境内にある東照宮を造営した名工、内山山城藤原吉久である。
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佐野市秋山町
【指定文化財等】#指定文化財等一覧
昔から地元では「関場の枝垂桜」といって親しまれている。学問的にはエドヒガン、一名アズマヒガンの変種で、枝垂形になったものである。樹齢約350年と推定され、樹幹は巨大で、高さ約20m、枝張りは東西20m、南北28mあり壮観である。葉に先立って4月初旬から咲きはじめ、中旬に満開になる。
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44旧三好小学校校舎
佐野市岩崎町1325-1
【指定文化財等】#佐野市指定文化財
明治44年3月、三好尋常高等小学校としてに竣工した。昭和47年、三好中学校廃校に伴い学校としての役目を終了し、現在は郷土資料保存三好館として活用されている。明治期に建てられた校舎で現存するものは、市内ではここだけであり、当時の様子を知る上で貴重な建造物である。
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佐野市葛生西1-12-1
【指定文化財等】#指定文化財等一覧
大ケヤキが2本あり、目通り周囲はそれぞれ4.6m、4.3m、高さはともに18m以上からなる。小学校が明治33年に現在地に移る前からあったもので、樹齢350年以上と推定されている。子供たちの成長を見届ける大ケヤキとして親しまれ、「とちぎ名木百選」にも選定されている。
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佐野市秋山町
【指定文化財等】#佐野市指定文化財
ザゼンソウは、木浦原の秋山川に沿った湿原に群生している。2月~3月に葉に先立って暗紫色(あんししょく)の苞(ほう)が顔を出し、その姿態は達磨(だるま)の座禅の姿に似ている。県南地方では特に珍しい植物である。
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48惣宗寺山門
佐野市金井上町2233(惣宗寺)
佐野家の改易に伴い、佐野城の門を移築したとされ、蟇股や懸魚に繊細な彫刻が成され、随所に葵紋があしらわれており日光東照宮と惣宗寺との歴史的つながりを感じさせる建物である。
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佐野市浅沼町508-5(佐野市文化会館)
【指定文化財等】#佐野市指定文化財
制作者の田村耕一は佐野市生まれの陶芸家であり、芸術性の高い「鉄絵」を基として数々の技法を加えた豊かな表現を持つ陶芸が評価され、昭和61年に人間国宝に認定された。当作品は佐野市文化会館建設を記念して制作されたもので、太陽と月を背景に大空を羽ばたく群鶴の大作は田村陶芸を代表する作品である。
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51東光寺のカヤ
佐野市寺中町2337
【指定文化財等】#指定文化財等一覧
樹齢は300~500年と推定されるイチイ科の樹木で、かつては樹高約19mの巨木で、樹勢が衰えることなく、枝葉を豊かにしていた。しかしながら、平成23年の不慮の火災により、安全対策等もあり、現在は形状を大変えている。
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佐野市植下町(堀田佐野城址公園 西側)
【指定文化財等】#佐野市指定文化財
堀田佐野藩は、江戸時代後期、植野に城館を構えていた。城館は、東西540m、南北360m、周囲約1.8kmといわれる。伝えられる城郭図は、1833年の様子を示すもので、周囲に掘や土塁をめぐらしている。現在、城跡の中央付近に明治25年に建てられた佐野城墟碑がある。
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佐野市町谷町102-1他
【指定文化財等】#佐野市指定文化財
三毳山の北西方の山麓にある緑地保全区(県南大規模公園)に属する小楢(こなら)の木等の下層植生として、カタクリが自生しており、1.5haに及ぶ群落は、三毳山を代表する植生として貴重である。カタクリはユリ科の多年草で、多くは落葉樹林の下に生え、早春の開花時の3月下旬~4月上旬頃、篭状の赤紫で非常に美しく、かわいらしい花が咲く。開花シーズンになると、市民をはじめ、植物愛好家や家族づれ等が多く訪れる。
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54赤見城跡
佐野市赤見町3572他
【指定文化財等】#佐野市指定文化財
治承2年(1178)、足利俊綱が築城したとされ、慶長6年(1601)廃城となった。本城は方形の平城で、かつては東西約450m、南北360mの規模であったとされる。西・北・東には、本丸を囲む急な角度で高く築かれた土塁と水堀が良く残る。
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55熊野神社のカヤ
佐野市船越町309
【指定文化財等】#指定文化財等一覧
樹高約20m、目通り周囲5.6m、推定樹齢約500年の神社の御神木とされている巨木である。樹高20m以上の大木になるが、樹齢500年以上の巨木は貴重なものである。
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56佐野城跡
〒327-0846 栃木県佐野市若松町425−504
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57洞雲寺のツバキ
佐野市船越町922
【指定文化財等】#指定文化財等一覧
樹高約12m、目通り周囲1.7m、推定樹齢約350年の赤の八重ツバキである。樹齢が350年を経たものは同種の樹木の中でも貴重である。古木ではあるが、南面の高台にある好条件から、樹勢は盛んで、春になると真っ赤な花が一面に咲き、ひときわ見事な姿を見せる。
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佐野市鉢木町15-5(願成寺)
【指定文化財等】#指定文化財等一覧
謡曲「鉢の木」で知られる佐野源左衛門常世は、雪深く積もる夜、旅の僧を鉢植えの木を切って焚き、心のこもったもてなしをした話で知られている。この常世のものと伝わる墓所である。
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佐野市戸奈良町960
【指定文化財等】#指定文化財等一覧
本堂前庭の東西に1本づつあり、植えられた時期は不明であるが、樹木の状況から推定樹齢はともに約300年とされている。2本とも毎年3月末から4月初旬にかけて、爛漫とした美しい花を咲かせる。
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60井伊家墓所
佐野市堀米町754(天応寺)
【指定文化財等】#指定文化財等一覧
佐野地方は寛永10年(1633)より15村が彦根藩領となり、2代藩主井伊直孝から14代藩主直憲まで、13代・235年間にわたって、奉行のもとに代官がおかれた。墓碑は天応寺墓地の高台にあり、右より直孝、その子直澄、直弼と3基が並んでいる。
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佐野市金井上町2233
田中正造の分骨地の一つで、惣宗寺境内にある。惣宗寺が分骨地の一つに選ばれた理由は、自由民権運動当時に「中節社」の事務所が置かれていたことや、大正2年(1913)、正造の本葬が営まれたことが考えられる。本葬の際には、全国各地より関係者が参列し、その数は数万人といわれている。
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62朝日森天満宮
佐野市天神町807番地
【その他】
慶長7年(1602)唐沢山城主佐野吉信が幕府の命によって城を移すにあたり、天満宮を現在の場所に遷座されました。地名を冠して朝日森天満宮と称し、人々より天神様と呼ばれ親しまれています。陽明学者・中根東里撰文の「下毛野天明郷菅神廟碑」(天明7年・1787)がある。
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63犬伏新町薬師堂
佐野市犬伏新町2061番地1
【その他】
慶長5年(1600)年の天下分け目の関ケ原の合戦を前に、真田父子3人が密談した場所として伝承されています。この密談により、父・昌幸、次男・信繁(幸村)が西軍へ、長男・信幸は東軍へと別れる決断をしました。この密談は真田父子「犬伏の別れ」として伝わっています。
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64龍江院
佐野市上羽田町1242番地
【その他】
国指定重要文化財「木造エラスムス像」が保管されていた寺院(現在は、東京国立博物館)。この像が龍江院に伝来した理由は、当時幕府の御持(おもち)筒頭(つつかしら)をしていた旗本牧野成里(しげさと)の手に渡り、彼の知行地羽田村の菩提寺龍江院に牧野家ゆかりの品々と共に寄進されたためといわれています。それ以来、この像は中国の造船の創造者とされる貨狄(かてき)像として、寺の山門南側堂宇に安置されていました。この像の姿から寺近辺に「小豆とぎ婆々」の民話が生まれ、今日に至っています。
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65司馬遼太郎文学碑
佐野市寺中町2297-1
【その他】
作家・司馬遼太郎さんは陸軍少尉として、太平洋戦争終戦前後の約4カ月を市で過ごし終戦を迎え。後に自身の小説について「(佐野で過ごしていた)22歳の自分に宛てた手紙」と語るなどゆかりは深いとされる。
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67露垂根神社
〒327-0801 栃木県佐野市富士町1007
【その他】#佐藤の会
藤原秀郷公が天慶5年(942年)に安芸国厳島大明神を、唐沢山の天徳丸に勧請しました。本殿の壁には、「竹林の七賢」の彫刻があります。唐沢山城築城の際、厳島大明神に祈願したところ、その霊夢により掘ると水が湧き出たという伝説もあります。(大炊井戸)