指定文化財や史跡を巡りながら歴史の声を聞いてみよう!
郷土博物館所蔵の指定文化財
(18件)
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上林遺跡出土旧石器時代資料
佐野市大橋町2047(郷土博物館)
市の東南、越名沼西側に位置する上林遺跡は、約3万年前の後期旧石器時代初頭の文化層が確認され、本遺跡の石器群は南北80m×東西50mの環状集落を構成したと考えられる。本遺跡から出土した最も特徴的な石器類3636点は、本市だけではなく、我が国の旧石器時代を解明するうえで極めて価値の高い遺物群である。
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八幡山古墳出土資料
佐野市大橋町2047(郷土博物館)
市内堀米町の佐野市配水場付近にある八幡山古墳は、昭和30年(1955)配水池建設に伴い発掘された古墳で、調査の結果、古墳時代中期(5世紀ころ)の築造と推定されているが、指定となった資料はこの時代の佐野市域に関する貴重な資料あり、なかでも三角板革綴式の衝角付冑と短甲は県内唯一の資料である。
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青磁不遊環花生
佐野市大橋町2047(郷土博物館)
平成16年度、佐野城跡第17次発掘調査で溝跡から出土した14世紀、中国元時代の龍泉窯系の青磁である。通常、発掘による出土は細かな破片資料がほとんどであるが、この資料は破損がなく、出土状況も明確で、中世の佐野城跡周辺の文化的、経済的な水準を示す代表的な資料である。
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細頸壺形土器
佐野市大橋町2047(郷土博物館)
昭和36年(1961)市立出流原小学校西側の畑地で、地下約1メートルの深さより出土した弥生時代の再葬墓に使用されたものである。壺は底部が小さく不安定な器形となっており、器肉は薄く、口縁部より胴上部にかけて幾何学文様があり、胴下部には擦痕、底部は網代痕で一つ穴があいている。
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出流原遺跡出土弥生時代資料
佐野市大橋町2047(郷土博物館)
出流原遺跡(市立出流原小学校付近)は、弥生時代中期前半を代表する遺跡として全国的に知られており、昭和39年(1964)の小学校のプール建設に際しての事前調査によって発見された遺跡である。これらの資料は「明治大学調査報告資料」として、明治大学と佐野市教育委員会が折半して所有しており、明治大学所有資料の一部は国の重要文化財となっているが、佐野市所有資料もそれらと遜色のない貴重な考古資料である。
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田中正造遺品
佐野市大橋町2047(郷土博物館)
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上羽田町出土板碑
佐野市大橋町2047(郷土博物館)
昭和35年吾妻地区の耕地整理の折、上羽田町字車塚の田地より出土したもの。表面上部の種子は釈迦如来の梵字の(バク)を表し、金泥を塗られた陰刻であるのが珍しい。その下に刻まれた弘安6年(1283)は、本地域において特に古い鎌倉期のものであることが特色だが、下部が欠損しているのが惜しまれる。
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紙本淡彩琴棋書画図 (加藤欽古筆)
佐野市大橋町2047(郷土博物館)
加藤欽古は天保元年(1830)京都に生まれ、嘉永4年(1851)、四条派の小田海遷に師事し、海雲・王欽古と号し、この絵は明治13年(1880)、50歳の夏に製作したもので傑作中のひとつである。
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顔氏家廟碑法帖
佐野市大橋町2047(郷土博物館)
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田中正造書簡
佐野市大橋町2047(郷土博物館)
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絹本著色安蘇馬車鉄道時代の葛生駅周辺図 (米陽山人筆)
佐野市大橋町2047(郷土博物館)
明治23年(1890)安蘇馬車鉄道の完成を祝して、南画家米陽山人が描き当時の安蘇馬車鉄道株式会社副社長に贈ったもので、葛生駅附近を画いたものであり、明治時代初期の秋山川に架かる橋梁や駅舎周辺等の交通機関の様子がよくわかる。
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田中正造墨跡
佐野市大橋町2047(郷土博物館)
正造の最晩年の心情のよく現れている和歌が揮毫されたものと、利根、渡良瀬両河川の水害見取図であり、大正元年に東京控訴院民事部へ提出するために描かれた河川図の一枚。
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中根東里学則版木
佐野市大橋町2047(郷土博物館)
元文2年(1737)植野の泥月庵(現在の植野小付近)で、中根東里が弟子を教育するために作った学則の版木であり、当時の教育を研究するのに重要な資料となっている。
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男子武人半身像埴輪
佐野市大橋町2047(郷土博物館)
昭和28年、県道佐野行田線の道路工事中、七軒町地内の畑地、地下約1メートルの深さから発見された埴輪であり、髪を胸にたらし、首飾りをして、大刀をはき、ほぼ完全に近い形象埴輪である。
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出流原石灰山産出トウヨウゾウの化石
佐野市大橋町2047(郷土博物館)
昭和37年(1962)、出流原町須永石灰工業所の採石場から発見された。東洋象は、体長4メートルほどの大型の象で、地質時代新生代第4紀更新世(洪積世)中期(約80万年前)に、東アジアや日本に生存した旧象の一種で、貴重な資料となっている。